伊達政宗が詠んだ漢詩に込めた思い【歴史から見る生前整理】

「伊達政宗」は、「独眼竜政宗」の異名で知られる戦国時代の武将です。
17歳で家督を継ぎ、19歳で南奥州を支配するなど、軍事・政治面で大活躍しました。
その後、江戸時代に入ってからは、仙台城を築いて、仙台藩62万石の初代藩主となりました。
また、文化面にも積極的に力を入れ、松島には瑞巌寺を建て、ヨーロッパには交易のための使節団を送るなどしました。

そして、政宗自身も、「文化人」としてひとかどの人物であり、漢詩や和歌は屈指の腕前で、能楽に関しても能楽史上に残るほどの愛好家でした。

その政宗が、晩年に残した漢詩で「酔余口号」というものがあります。

馬上少年過 世平白髪多〔馬上 少年過ぎ 世 平らかにして 白髮多し〕
残躯天所赦 不楽是如何〔殘軀(ざんく)は天の赦(ゆる)す所 楽しまざるは是如何(これいかん)〕

(意味)
馬上で戦場を駆け回った遠き青年時代。
今、世の中は泰平となって、我が身は白髪の生える年齢になってしまった。
今の余生は天が与えてくれたもの。
せいぜい楽しまずにはいられない。

戦国という激しい荒波と苦難の時代を乗り越えた後に訪れた平穏の日々。
政宗は心行くまで、自分の人生を楽しもうとしていました。
文化面での取組みはそのひとつでもありました。
その結果、それまでの伝統的な文化に、国内や海外の新しい時代の特性を組み入れながら、仙台の地に“伊達”な文化を築いていったのでした。

人生は、常に時間とともに過ぎ去っていくものではありますが、
一度立ち止まって、これまでの自分の人生を振り返りつつ、未来の人生のことを考えてみてはいかがでしょうか?
人生の整理も大切な【生前整理】のひとつです。
今ある自分を大事にして、自分が主役であり、自分が望む人生を歩んでいただいて欲しいと、私は心から願っております。

◎生前整理をするのに、自分ではどうしたらよいのかわからない時は、
生前整理のプロの専門家である【生前整理診断士】をお頼りください。
お話をしっかりと伺い、そのお気持ちに寄り添い、親身にサポートいたします。
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